日刊あるなし

日常を 遊びのように 楽しく過ごす。ミニマリスト&インドア生活スタイルを日々紹介します。

スマホを落としただけなのに 「良かった」と思える理由

ここ1〜2年、生活していて気付いたこと。

スマートフォンを良く落とすようになりました。

おかげさまで画面は傷だらけです(故障ギリギリ)

ですがこれ、「良い傾向だな〜」と思うようになりました。

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先月帰省したときに、娘から言われました。

スマートフォンの画面にヒビが入ってる。大丈夫?」とのこと。

確かによく見ると、画面(正確にはそのカバー)に細い線がいくつか。全て落としたときの傷です。

 

思うと、1ヶ月に一度くらいのペースで手元から落としてしています。

取ろうとして手を滑らせるとか、シャツのボケットから滑り落ちるとか。

回数は少ないですが、カバンのポケットからはみ出る、というのもありましたね。3WAYバッグを愛用しているので、背負う時にはポケットが90度回ってしまうからです。フタを締めておかないとポロッとこぼれ落ちることがあるのです。

 

www.nogame-nolife.online

 

 

幸いスマートフォンの機能自体には影響なく。数年使えているのがありがたい。

安い機種とはいえ、買い替えはしたくないですからね。

 

で、この傷だらけのスマートフォン。10年前だったら、落ちるたびに、ドキッ、ヒヤヒヤ・・・しただろうなぁと思うのです。

昔はスマートフォンにカバーは当たり前。1年に1回はスマートフォンの「衣替え」と称して、カバーを楽天市場で注文していました。

 

特にプラスチック製よりも革製が好き。

当時はカバンも、名刺入れも、手帳も本皮製でしたから、その流れでスマートフォンカバーも革製がよい(かっこいい!)と思い込んでいました。

「モノを大事にする」といえば、聞こえは良いですが、当時は、「ヒトやコトよりもモノが大事」 だったかもしれません。

 

子供が自分のカバンで遊んでいたら注意していましたからね。

「パパの大事なカバンだから遊ばないでね」という具合に。その実、カバンが涎で汚れるのが嫌だっただけなのです。

娘の興味関心よりも、モノが汚れないことが一層大事でした。

 

 

 

 

それから10年、そんな感覚が抜けてきた気がします。その一例が、スマートフォンを落とすようになったことなのです。

モノを、「ただのモノ」扱いできるようになってきた感覚、というのでしょうか。

道具を一番大事にするのではなくて、何か目的のために使っている、道具として正しく見つめられるようになった。自分だけの1台とか、自分が選んだ機種だから(誰のものよりも大事!)といった価値を上乗せしなくなりました。

壊れていなければいい、多少汚れていても道具として使えているのだからもっけもの。それだけです。

 

もしも今日、私のスマホが壊れてしまっても、「またちょっと手頃なのを買おう」とすぐ手続きが始められます。

モノへの愛着、というか執着が減ったといえますね。

 

ではその執着はどこへいったのでしょうか?すでに仏様の境地に達してしまったのでしょうか?(それはない)

 

考えてみると、自分の関心が、モノ(手段)から、もっとその先に向かい始めているのだと思います。

スマートフォンが大事なのではなくて、スマートフォンで何をしたかったか?を考えるようになりました。

もしもそれが、電話だったら。もうスマートフォンを手放して、通話機能だけの携帯に買い替えていたかもしれません。

スマホの画面から習慣チェックができるなら、ブログを更新できるなら、今使っている機種でなくても平気だと言い切れます。

 

将来的に、高スペックが求められるスマホゲームをしたくなったら別かもしれませんが、、、幸いそういった好奇心は今は無いようです。

 

モノを長く、大事に使うことは今でも大切だと思います。

ですが、それが執着のレベルまで高まってしまうと弊害があります。

本当の目的や、対象を曇らせていないか?それを確かめるために、モノとの付き合い方を見直してみると面白そうです。

例えば、スマホを落としたときに何が心に浮かぶのか?という風に。

 

以上、今日は「スマホを落としただけ」の話しでした(映画は未見、お名前だけ借りました)

今日もご一読ありがとうございました。