日刊あるなし

日常を 遊びのように 楽しく過ごす。ミニマリスト&インドア生活スタイルを日々紹介します。

「経験」だけじゃだめ。「感性」がないと、人は成長しない

 

 

当たり前につかっている私の経験、そして私の感性。

この言葉の意味を本から教わりました。

 

 

今日はぞっこん惚れ込み読み進んでいる本の話。

ホモ・デウス

イスラエルの歴史家、ユヴァル・ノア・ハラリさんの作品です。

 

 

名前だけですぐに、「あー、あの人ね」とは言われないかもしれません。

ですが、彼の著作、サピエンス全史はどうでしょうか。

2011年発行され、世界で1,000万部を超えるベストセラーになりました。

読まずとも、書店で平積みになっている姿はご覧になかったかと思います。

 

私も読みました。過去の歴史の教科書をひっくり返すような、ロックな言い回しに痺れたものです。

 

サビエンス全史では、人類の過去について。どういった経緯で私達(ホモサピエンス)が世界を牛耳るにいたったかを説明してくれました。

 

今回の本はその先、人類の未来がテーマです。

 

今私達が当たり前にくらしている国、ここで当たり前になっている常識が、1世紀遡っただけで、まったく異常な環境に見える。そうハラリ教授は断言します。

 

王様や神様が中心ではない。

→「世の中ゼニ」資本主義が世界を回している。

 

同じ生活基盤を続けるのは今や好ましくない。

→「もっといい生活」を目指して、増益、成長が世界をよりよくする唯一の道。欲望は善である。

 

宗教が世界の中心でない。

→1人1人の気持ち、感情が当たり前に生活の中心になっている。

 

将来的には、過去我々が持っていた価値観はすべて「フィクション」になる。

データを中心とした無味乾燥な、正しい判断の世界になる。

結果、人は神に近づく(神になる) 

 

一見、話が誇張されているトンデモ本に見えるかもしれません。しかし、必ずしもそうとも言い切れません。

その裏付けに、数千年に及ぶ人類の歴史が網羅され、比べられているからです。うなづくフレーズも増えるというもの。ハラリ教授、恐るべしです。

 

そんな中とても印象的な説明がありましたので、ご紹介します。

先程触れた、1人1人の感情が優先される時代になった、というところです。

 

このヒューマニズム(人間至上主義)がまるで新たな宗教として私達の価値観の一部になってくると、私達の経験の価値が高まります。

何を見て、何を思ったか。私の主観が政府の判断と同等かそれ以上に注目されるべきものになります。

 

では、その「経験」とは何だろうか?

 

ハラリ教授は経験を3つの価値に分解して、そしてさらにもう1つ。「感性」という言葉を関連付けて説明してくれます。 

 

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経験とは自分の「感覚」を通して、「感情」が揺さぶられること。そして「思考」すること。この3つがないまぜになっているものである。

そして感性とは、この経験を一歩引いた場所から自分で観察し容認する、いわば自己分析の能力である。

 

「あぁ、今自分は花をみてるんだ」

「感動してる」

「名前が気になっているようだ」 と感じ、考える。

次に自分で自分に納得するわけです。その上、そんな自分の振る舞いを「みとめてあげる」。

ここまでをセットにして感性。そうハラリ教授は規定しました。

 

 

 

この一節が自分の記憶にとても親しいなと納得します。

経験は感覚だけじゃない。感情・思考とのセットで発生する、というところです。

 

過去のブログでも触れたように、私はマルチタスクを習慣にしていました。

何かをしていると、ついでにもう1つ何かしないと落ち着きません。

勉強する時には必ず音楽をかける。テレビを見る時にはスマートフォンのニュースサイトを並行してみます。

プレイステーション4でお気に入りのゲーム(ニーアオートマタ)をプレイしている時も、数秒のタイムラグの間にSNSをチェックしました。

 

同じ5分間を1つのことに費やすのは「もったいない」と考える癖があったのです。

 

ですが、このケチな性分がプラスに働くことはあまりありません。

1日を費やしたあとに、「自分に残るモノ」が何も無い時があるのです。

間違いなく他の人同じ時間を過ごしているのに、何をしていたのかわからない。実感がない。

 

自分は遊びながら何を飲んでいたのか。お昼に食べた食事の献立は?ゲームはどこまで進んだ?

 

こころ ここにあらざれば みれども みえず。

 

これは中国の古典、礼記(らいき)にある一節です。

自分がしていることに、意識(思考・感情)が向いていない、いわば作業は経験になり得ないのです。

ただ過ごすのではなく、丁寧に過ごす。喜怒哀楽を感じながら、思考の網を張り巡らせる。この大切さをこの一節で自覚しました。

 

そして感性も分かち難い能力です。思考と感情をいかにのせても、それに自覚していなければ、子供に残せるような「知識」にはなりません。

自分の経験をその場限りにしない。

自分だけの物語を、日が経った後に自分がもう一度体験できる。さらに、他の人にもわかってもらえる物語に書き換えていく。

そんな、わかりやすさを加えていけるのが感性。観察する力です。

 

自分は経験も感性もまだまだ足りません。

まずは朝ごはんの食事を味わうところから始める必要がありそうです。もちろんテレビはつけずに。

 

 

以上、ハラリ教授の本から印象的なフレーズを抜き出してみました。

今日もお読みいただきありがとうございます。