日刊あるなし

日常を 遊びのように 楽しく過ごす。ミニマリスト&インドア生活スタイルを日々紹介します。

外出自粛中に家で出来ることは?モノと向き合い片付けるチャンス!

お題「#おうち時間

 

ステイホームがそこかしこで目に入る昨今。

身体はご近所にあっても、気持ちだけはGO AHEAD!(さあどうぞ!)

今、ここで出来ることがあります。 

 

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【4分で読める記事です】

 

たかだが、2ヶ月、されど2ヶ月。

特別警戒指定された神奈川県では外に出る時にいつも罪悪感を覚えずにはいられません。

仕事も私事も、人との接触8割減の地域です。仕事のシフト調整はもちろんのこと、自分が出歩く時にも移動手段から考える必要があります。

電車はタブー。歩く時にも駅前、大通りは要注意。隠れるように裏道を使う。マスクなし、それはまずい。。。

数カ月前の自分がみたら、笑ってしまいそうです。なんともおかしな時代になりました。

 

とはいえ、このCOVID−19が生活に与える影響を、ただ「悪いもの」と受け入れるのは反対です。

 

本来、変化に良いも悪いもないのです。

 

決めるのは社会、もしくは自分です。さらに言うなら、私達が散骨されたあと、ひ孫の代かもしれません。

解釈次第というならば、まずは自分たちが充実するように受け入れていく。その方が良いと思います。そんな視点で広がったチャンスを振り返ります。

 

 

 

1 家の中が片付き、モノとの主従関係に気づけます

これまで、散れ散れになっていた意識が、自宅に向くようになりました。身をおけない外のどこかよりも、自分がどうにか出来る今ここに、心が向くのです。

「外7:内3」だった意識の分配が、「外1:内9」くらいになります。あくまで体感です。

これまで目の端にあったものの、見直していなかった小物、大物がすべて見直す機会を持ちました。まさに「手中に収まる」気分です。

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すでに持っていたのに、手中に収まるというのも変な話ですね。

ですが、気持ちとしてはこの言葉がしっくりくるのです。

 

自分のモノであっても「動かす、手放す」が出来なければ、それは自分のモノなんでしょうか?

手中に収まっていない、ただその場所に居座られていたとしたらそれは、モノに使われている、利用されていると言えないでしょうか?

 

最近、ユヴァル・ノア・ハラリさんの「サピエンス全史」を読んでいます。私達人類(ホモサピエンス)の創世記から現代に至るまで歴史を、これまでにない角度で分析した歴史書です。

 

自宅の片付け話にこの本の話を出したのは訳があります。

この中に似たようなセリフがあったからです。

曰く、

私達は紀元前の時代、狩猟文化から農耕文化へと、その生活様式を変えていった。

だが、それは自分個人の幸福のためではない(むしろ個人的幸福度は下がったかもしれない)

麦や米といった植物が全世界に繁茂するために、動きが取れる二本足の動物が使われた。

つまり、人類はあるタイミングから、「農作物の家畜」になったのだ(要約)

 

 農作物の家畜。パワーワードですね。ここまで印象深いセリフは

ガンジーでも助走をつけて殴るレベル」で爆笑をした時以来です。

 

この2つの話。どちらも、主客が逆転していました。

つまり、どちらが使い、どちらが使われるのだろうか?一見当たり前だと思っている立場も、疑ってかかったほうが良くないでそうか?と考え直す機会になりました。

少なくとも「それ無しでは生活できない」というモノがある程、どちらが生活の中心なのか、私にはわかりません。

 

スマートフォンを使っているのか?

スマートフォン(と、その背後にいる大手企業)に使われているのか?断言できますか?

要注意です。

 

2 出来ることが少ないので、1つのことに時間と労力を割けます

選択肢が多い程不幸になる。  ロルフ・ドベリ

 

この言葉を逆に取れば、選択肢が少ない程幸福になるということ。まさに今のCOVID-19に関することですね。

休みの日、何をしようかと、想像が左へ右へ浮わつく、「迷いの時間」がなくなっている。それが今の状況です。

であれば、出来ることを早々に決めて、時間をまとめて費やした方が、迷う時間よりも有意義です。

 

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これは一昨日チャレンジした、とんでも散歩の話。

散歩だって半日かければ山の頂上にだっていけます。ただ、この遠出も、今回の状況でなければ選択しませんでした。

 

「これしかないない。そう思うから、楽しみ方を考えた」逆転の発想です。

帰省できない、家族に会えない、とウジウジ悩むなら違うことをして将来の土産話にしたほうが誰のためにもプラスになります。

 

10年以上牢獄に入っていたムヒカ元ウルグアイ大統領が「あの時間は有意義だった」と懐古するように。

ナチスの収容所に強制収容された哲学者のV.E.フランクルが、「収容所でみた夕日が泣きたくなるほど美しかった」と本に書くように。制限された空間で気付くことは事欠きません。

矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、「制限は、自由への入り口」です。

ルールがあるけど自由に遊べるといえば、ゲームに例えてもわかりやすいかもしれませんね。野球もサッカーも、将棋もルール(出来ないこと)があるからこそ楽しめる。何でも出来るは、実は不自由になのかもしれません。

 

3 まとめ

緊急事態宣言延長で、さらに1ヶ月。5月末まで行動が制限されることになりました。

生活に直結する人にとっては、心苛まれる、苦しい時期が伸びたといえます。

すでにウィルスに直接感染した(その疑いがある人)にとってはなおさらです。

 

とはいえ、その苦しい事情、身体の心配に意識を100%向けていて、楽になるのかな?と思うと、違います。

集中すれば拡大します。まだ小さな心配ごとも、考えすぎることで、大変な事態であると決めつけてしまうかもしれません。

こんあ状況だけどチャンスもある。逆に今だからこそやれる。その気持ちの切り替えは、自分だけが文字通り、決心できること。

適切な心配をして、かつ最大限楽しみましょう!

 

 

今日はこれまで!

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

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