自分の持ち物を適度にすることで、年末の買い物も様変わりしました。
プレゼントが増えたことが楽しみの1つです。
1年の行事の中で、意外に好きなものがあります。ミニマリストだからといって、形骸化した恒例行事全廃!というわけではないんです。
それは、お歳暮や、お祝いに対する「半返し」というイベント。
年末のご挨拶に、出産祝いのお返しに、プレゼントをお送りします。
なぜ、このイベントが好きかというと、「形だけじゃなくて、本当に相手が喜びそうだから」です。
反対に、年賀状はあまり好きではありません。
普段会っている人なら年始のご挨拶で十分ですし、普段合わず、連絡も取っていないのならば、ご縁を無理につなげる必要があるかな?と疑ってかかる方です。
年末にCMがガンガン流されているのも、「慣習、だから正しい」「やらないと不義理」という雰囲気を出されているようで好きではありません。今年も義理年賀状の類は出さないつもりでいます。
(昔参加したセミナー講師が、「人の気持ちに伝えるなら、みんなが出している年賀状よりも、クリスマスカードだ!」と言っていましたね。それくらい、形ばかりになっていることなんでしょうか)
話が年賀状にずれてしまいました。お歳暮・お礼の品に戻します。
こちらは、うってかわって、「義理で出している」ものではありません。少なくとも私はそう思ってお送りしてます。
自分が普段お付き合いがあって、ぜひお礼をしたいと思っている人。また、来年以降もお付き合いしたい方だけに送っています。
「慣習、だけど義務ではなく、好きでやっている」ことなんです。
だから続けられるし、やめようとも思いません。形だけではなく、気持ちや考えが詰まっているならば、慣習と言われているものも続ける価値があります。
あえて、ミニマリスト風を気取るとするならば、お送りする品は基本的に「食べ物、飲み物」にしているってことでしょうか。
残るもので、万が一本人の趣向に合わないモノだったとき、目も当てられません。食べ物ならば、その場限りですし、最悪ご家族にお裾分けもできますから。お礼の気持ちは伝える。
でも、無理に残るようにはしない。ということです。
昔は、自分で稼いだお金を自分のために使うのが当然!と思っていました。何しろ自分が頑張った分ですからね。趣味や、美味しいご飯を自分で食べて文句を言われる筋合いはない!という気持ちです。
ですが、経験の積み重ねと、価値観が変わってくると、その「当然」も変化します。
友人・家族が喜ぶモノは、自分のモノと「同然」になっていくようです。
この気持ちも自分のモノへ執着を減らしたことで生まれてきたものだとすると、嬉しいかぎり。今後も続いて欲しいものです。
おまけ〜今年のお歳暮・お礼で特に選んだ品
居酒屋で飲んで、びっくりしてしまったお酒。もう「カルピスか!?」と思うくらい、甘くて美味しいお酒です。
この驚きをぜひお裾分けしたくて、何人かの方にはこちらをお届けしました。楽しんでもらえるといいなー