日刊あるなし

日常を 遊びのように 楽しく過ごす。ミニマリスト&インドア生活スタイルを日々紹介します。

【徒然草】質素に、自然に生きる

 おはようございます。室内でも肌寒い朝

ですが、気力充実です。何しろ今日はお休み。丸一日フリーです。朝からゆっくりとブログをかけるのは嬉しいものですね。

今日のテーマは、吉田兼好さんの「徒然草」です。

日曜日の読書会のテーマ本としてじっくり精読。全段を読んだのは初めて。徒然草(現代語だと「暇つぶしノート」)を体験しました。

 

以前も書きましたが、この本はミニマリストの参考書として、参考になるところがとても多い。なぜなら、当たり前の価値観に疑いをかける視点を彼が持っているからです。

 

本当にそれって必要なの?

そのせいで大切なこと忘れてない?と、気づくきっかけになる段落が多いのです。

 

鎌倉時代の風俗や、貴族の生活。儀礼典礼、自然といった幅広い分野で書いてありますが、今回はその中でも、彼の生活スタイルと価値観から抜き出します。

質素に生活する生き方について。兼好さんが書き残している段落を、いくつかご紹介します。

www.nogame-nolife.online

 

 

1 自宅にたくさんあっていいものは◎◎と、◯◯

30代になるころには剃髪(まるぼうず)してしまった兼好さんだけあって、物欲が少ない。本の中で、何度もモノについて言及しているシーンがあります。

自分の生活を質素にして、贅沢を退けて、財産を持たず、欲に目をくらませないのが最高

若い時には天皇に仕える経験までしている。当時の日本において、豪華絢爛の粋(すい)を観てきたに違いありません。

逆にそこまで経験したからでしょうか。「これだけ贅沢にしても意味があるのか?」と疑問を持つようになったようです。この一説をまず書いたのは十八段目。

全243段の中でいえば、かなり早い段階ですね。30代前半には生活スタイルを確立していたと言えます。

 

余談ですが、本の前半と後半でかなり時間が経っています。そのため、途中から本人の価値観が推移していくとのこと。その移り変わりを読み解くのも、徒然草読者の楽しみなんだそうです。

 

何でもある生活を経験してから、そのスタイルに疑問を持つ」という価値観の流れは、兼好さん以外も、その例に枚挙に暇がありません。

一番有名なのは、お釈迦様(ブッダ)です。

もともと釈迦族の王子様だった人。お城に住み、何一つ不自由なく過ごしていた生活から、29歳にして出家。妻子を残して着の身着のまま旅に出ました。

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同じくアジアで言えば、インド建国の父、ガンジーも同じような境遇です。

もともと西欧の知識を学び、弁護士にまでなりました。父は、インド帝国の宰相。生活に困るなんてことは無さそうな生い立ちですね。

ですが彼も、その生活を捨てる決断をします。理由は24歳の時に、受けた強烈な人種差別。

志を定めてからはヨーロッパ的な価値観を捨て、民族のために尽くしました。

ほとんど裸同然の姿で、持ち物もメガネや衣服など。数点しかなかったんだとか。

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兼好さんが、20代で何を経験したのか。そのエピソードは本の中から読みとませんが、10代、20代で生活を見つめる価値感を確立させていったんだろうと想像できます。

ただ、そんな「モノ持ちが悪い」兼好でも

「たくさんあっても良い」と自分を許しているものがあります。七十二段目を読んでみましょう。

 

賤(いや)しく下品なもの

  • 家具や調度品がごちゃごちゃある
  • 硯箱(筆箱)に筆が何本も入っている
  • 仏が何体も飾ってある
  • 庭に石や木がありすぎる
  • 子供や孫がたくさんいる
  • 人にあった時に言葉が多くおしゃべり
  • 自分がした善行(よいおこない)をたくさん書き残していること

多くても見苦しくないもの

  • ごみ捨て場のゴミ

〜第七十二段

 

はっきりいって、好みの部分が強く出ているリストです。子供がいすぎると煩わしい?そう言われると、一人の娘の父親の身としてちょっと同意できかねます。

他も誰もが同意できる内容とは言い切れませんね。静かに日々を過ごしたい兼好さんならでは。個人的な好みが垣間見えます。

 

多いもの。不要なものがたくさんあることを嫌う。それと同時に、自分の興味関心がある本についてはいくらあっても良いと感じる。そして、モノを手放し、ゴミの山にすることは素晴らしいと感じる。

本ならいくらでもいいよね!と好き嫌いをはっきりさせる姿に、世俗と仏門の境界線、理想と現実のバランス感覚が読み取れて、とても親近感を覚えます。 

2 本当に賢い人は

自分が手放したいもの。持っていたいものをはっきりさせた兼好さんが、その後に手放した価値観は、名声や私欲といったものでした。

何かを欲しがる事、地位を得ること、人から高い評判を受けること。そういったことを愚かなことだと一蹴します。

名利に使はれて、静かなる暇無く、一生を苦しむるこそ、愚かなれ

〜第三十八段抜粋

 ではどう生活すべきなのか?この段落では答えの1つを提示しています。

名声を得ている・得ていないとか、得だとか損だとか。知識にいたっても、知っているとか知っていないとか。そういった考えをもたないこと。

つまり白黒をはっきりつけないこと。それが賢い人なんだそうです。

 

禅問答のようになってきましたね。

白黒が無いのは怖いものです。何が良くて、何が悪いのかわからない。判断する基準が無くなってしまうんじゃないですか?不思議に思うのも最もです。これだけですと私も理解しきれません。

 

ただ、書面の中にこんなセリフもありました。

「誰もが持っているような価値観で物事を判断しないこと」

賢いとは、なんでも白黒をつけないという乱暴なものではない、与えられた価値観で物事を決めず、自分で価値観を作り出す。

自主独立の心構えに憧れます。

3 MementMori

 

モノは持ちすぎない、地位や名誉を追い求めてもしょうがない。

こういったちょっと世俗から離れた価値観が生まれる源泉には何があるんでしょうか。

そのもう1つ深い部分の価値観も、徒然草の中では何度も登場します。この一説がとても好きです。

それはMementMori(メメント・モリ)、ラテン語で「死を忘れるな」という事。

彼の発言の根底には、「死んでしまう身の上なのだから」という前提がいつもつきまとっているんです。出家した人らしいですね。

ですが、文中に、宗教のことをあげつらうような言い回しはありません。来世を期待しようとか、現世は不幸だとか人を浮足立たせたり、不安にさせる気は感じない。

代わりに感じるのは、「どんな人でも致死率100%なんだから・・・、こうやって生活しましょうよ」という、誰かに対する説教です。

(この「説教」は叱るということではなく、教えさとす意味です)

年取ってから何かはじめようと思わない。年若くして死ぬこともある。すべきことをせず、しなくてもいいことをに時間を使っていると、死の間際になって初めて誤りだったと気づく 〜第四十九段 

愚かな人間が生きることを楽しまないのは、死を恐れていないからではなく、死が差し迫っていることを忘れているからだ 〜第九十三段

何か一つのことを成し遂げようとおもったら、他のことができなくなることを残念がってはならない・・・・人間の命は雨の晴れ間をまっているものではない。自分も死に、教えを聞くひともいなくなったら、もう尋ねることもできない。 〜第百八十八段

兼好さんの中には、雪が溶けて消え、桜が散るように、必ず人は死ぬということが心根にあった。だからこそ、それを日々の生活の根底にした考え方をまとめていけたのでしょうね。

仕事でも、プライベートでも、「これは絶対!」ということはあまりありません。ですが、「致死率100%」という絶対をベースにすればどうでしょう。少しは浮ついた考えから、冷静沈着な大人になれるかも、しれません(あくまで可能性です)

少し期待をもちました。

 

以上、今回は考えることも多く、かなりの長文でお伝えしました。最後までご一読いただき感謝です。

この一冊はこれまで読書会で読んだ中でも屈指の1冊でした。今回に限らず、ことあるごとに手を伸ばすことになりそうです。

 

「暇つぶし」ノートにしては、ためになること気づきすぎませんか?兼好さん?