日刊あるなし

日常を 遊びのように 楽しく過ごす。ミニマリスト&インドア生活スタイルを日々紹介します。

幸せってなんだろう?を紀元前から考えてみる読書会

今朝は、いつものデニーズさんで読書会の日です。

テーマは「幸せとは何か」長谷川宏さんの作品です。

タイトル通り、幸せってなんだろう?という問いに答える研究書。

評論・分析本かと思いきや、長谷川さんの強烈なメッセージが伝わる一冊です。

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長谷川さんの幸せ:しずかで平穏であること 身近であること

作中でピックアップされる幸せの形は、古代ギリシャから、近世ヨーロッパ、現代にいたるまで多種多様です。

それを語る前に、彼が冒頭で語る幸せの形は、とても平易であたり前の言葉。

うるさくないこと。日々の生活が何事も無く過ぎていくこと。これが幸せだと、長谷川さんは日本画を例にだして説明します。

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言い回しがあまりにシンプルなので、

えっ、これで終わり?と思ってしまうくらいです。

ですが、この身近さ。手を伸ばせば届いてしまいそうな幸せの形が、私にとって一つの解答になりました。常々疑問に思っていることがあったからです。

1日がかりで向かう行楽地に年1回行くことは幸せか?では、もしいけなかったら不幸なのか?(場所を限る幸せ)

よい成績をとることが幸せか?取れなかったら不幸なのか?(比較と評価に依存する幸せ)

あんな家、こんな車に乗ることが幸せか?乗れるまでは不幸な日々を過ごすのか?手に入れたらずっと幸せ?(モノの手に入れる幸せ)

そもそも、幸せになる条件を無理に狭めていないだろうか?(幸せの条件?)

こういったことを一度は考えたことありませんか?

1日だけ、その時だけの幸福感よりも、日々の生活の中でそれを感じることができたなら。こんなに手軽で、継続できる形はありません。

ただ、朝起きること。

ただ、昼間家族と家や近所にでかけて過ごすこと。

ただ、夜お風呂に入って寝ること。

この当たり前の中に幸せを見いだす。長谷川さんが描く幸せの条件は、私が今望んでいる形に近しいものでした。

間違いではないけれど、過去の幸せはこんな形もあった

この本は、作者自身の幸せのモデルを示しながらも、歴史上には違う定義があったことを1章から哲学者の名前を出しながら時系列で教えてくれます。

そして、自分の幸せの形もその1つに過ぎないことを示すのです。

作中で取り上げられる哲学者は一度は聞いたことがある名前ばかり。

「幸せとはなんだろう?」このテーマで比較してみると、これまで名前だけ知っている歴史上の人物も、とたん色彩を帯びるようになりました。

作中に登場する哲学者を3人ご紹介します。 

アリストテレス:個人の幸せは街の幸せと同じ 徳のある行動が幸せの形です

→だから、動物はもちろん、子供も幸せではない。徳ある行動ができないから。

 子供は幸せになれないというのがパワーワード。昔の仏教のように、選ばれた人だけが幸せになれると信じていたようです。また、街の発展と個人の幸せを同一視している点も、今の感覚と少し違いますね。

 

アダム・スミス:人とのつながりの中だけで幸せがある

→人と離れた、隠遁生活に幸せは無い

 人間関係から幸せを感じるというところは今の感覚に近いものががありますが、隠遁と物思いの日々には幸せが無い、という点はまだ?(はてな)が残ります。  

バートランドラッセル:外へ関心を向けること そして好意的であること

→何にでも興味を持とう!

 この意見が発表されたのは1930年。かなり近代に近くなりました。この人の幸福論が、時代が近しいにもあってか、感覚的に理解しやすいものです。

特に、外へポジティブな目を向けるという考え方は、身の回りの話から実感できます。

ネット上では、人の問題発言を揚げ足を取っては、バッシングするケースが後を絶ちません。見聞きするものを悪いモノとしてとらえる。その評価が正しいかどうかは別として、この姿勢そのものが不幸につながる考え方だと、ラッセルさんは注意するのです。

ラッセルさんが昨今のネットの現状をみたら、

「その行動こそがイカン!自分を幸せから遠ざける誤った世界観、間違った生活習慣だよ」

と、残念がったことでしょう。

 

Google検索で正解を見つけられないことば だからこそ

 この本を読了して見つけられる発見は2つでした。

まず、幸せには定形がないこと。時代背景や、その人の経験に左右されてしまいます。

そして、だからこそ自分の背景や経験をもとに、どんな形にも変えていけるという自由なものであることです。

 

人から押し付けられた、手の届かない定義を信じて不幸になったところで、誰が得をするでしょうか。

それだったら、もう手元にあるもの。家族であったり、生活の中から、「これが幸せだ」と自ら決めたほうが、よほど充実した生活が送れるに違いありません。

なにしろすでに手元にあるものなのですから。

今の私は著者の長谷川さんや、ラッセルさんに比較的近い幸福観をもっています。

ですが、これから他の人の話を聞く中で、また移り変わるかもしれません。それもまた良し。考え込みながら自分の幸せの形を日々つくることにします。

 

皆さんの幸せに形はありますか?それはどんな形でしょうか?